母と子の漢方
不登校のためのスピリチュアル①
年も明け、年度末を迎えるこの時期
なぜか、不登校の相談が増えます。
そんな中で、
いつも心の中に浮かぶ声は
“あきらめなさい!”
“えっ!?”ですよね。
実は、元々は仏教用語の“諦め“です。
「晩年は諦観の境地に入った」のように使われる場合は
普通のアキラメの意味です。
一方で、
「世の中の成り行きを諦観(テイカン)する」の場合は、
よく見るとか、明らかにみる、ありのままにみるという意味となり、
本来の仏教用語の意味に近くなります。
何をあきらかにみるのかというと、
「真理をあきらかにみる」ということです。
つまり、大宇宙の真理である因果の道理をあきらかにみる、ということ。
「悟り」の境地とも言えます。
早口で3回唱えると分かります
「あきらかにみる、あきらかにみる、あきらかにみる、諦める!」
また、因果応報と言われるように
善因善果
悪因悪果
自因自果 (ブッダ)
善いたねをまけば善い結果
悪いたねをまけば悪い結果が現れる。
自分がまいたたねは、自分が刈り取らなければならない、
という自業自得の道理でもあります。
“諦める”方法は、以下の4つのステップがあります
1.失敗を真正面から見る。
2.言い訳したりごまかしたりせずに受け入れる。
3.対策を立てる。
4.実行する。
つまり、
「あきらめなさい」とは、やめろということではありません。
原因(因果の道理)をあきらかにみてみてください。
結果があるということは必ず自分が種をまいています。
まいた種は必ず生えると教えられています。
少しでもいい種まきをしようというのが
“あきらめろ(諦観)“なのです。
この諦観を心がければ、
反省が深くなり(内省)、向上心が強くなり、
反省と向上を繰り返し、
新しい人生が開けてきます(弁証法的変化)。
自分も今年は一回りします。
いくつになっても
お互い、因果の道理をあきらかにみて、
諦観を実践したいですね。
スピリチュアルで、”いい加減に”生きてみてはいかがでしょうか