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発達障害は登山途中、認知症は下山途中
発達障害は登山途中、認知症は下山途中
― 環境調整という臨床 ―
正直に言えば、こんな診療を自分がしているとは想像していなかった。
医者人生の前半は小児が中心だった。やがて成人が増え、気がつけば高齢者も診ている。発達障害のこどもと、認知症の高齢者を、同じ外来で診るようになるとは思っていなかった。
けれど今振り返ると、不思議と無理はない。
先天性心疾患は、救命率の上昇とともに“縦長の診療”になった。こどもだった患者さんが大人になり、そのまま診続ける。いわゆる成人先天性心疾患という流れである。
自分はその中で不整脈を専門にし、循環器内科の中で育ててもらった。リズムの乱れを読み、変化を追い、全身を診る。内科診療への抵抗はもともと少なかった。
さらに、漢方や重症心身障害の診療に関わるようになり、「臓器」ではなく「人全体」を診る感覚が強くなった。
そう考えると、今の診療スタイルはむしろ自然な帰結なのかもしれない。
発達障害は、人生の登山途中にある。
どのルートを選ぶか、どんな装備を整えるか、どのペースで登るかによって、その人の到達点は大きく変わる。疾患そのものを“治す”ことは難しくても、環境との関係を調整することで、歩き方は確実に変わる。
一方、認知症は下山途中である。
転ばないこと、迷わないこと、安心して降りられること。そのために、周囲の環境や関わり方を整えていく。こちらもやはり、脳そのものを変えるというより、「世界との接続の仕方」を整える診療になる。
方向は逆だが、やっていることはよく似ている。
どちらの診療でも問われるのは、
検査をして診断をつけることそのものではない。
その先で、どう行政や社会資源につなぐか。
本人や家族の「困りごと」に、どう寄り添うか。
ここには、循環器でカテーテル治療をしたときのような、「治した」という明確な手応えはない。
けれど代わりに、
少し生活が回るようになった、
家族の表情が和らいだ、
本人が少し安心して過ごせるようになった、
そうした変化が、静かに積み重なっていく。
不整脈の診療では、「リズムの乱れ」を見る。
発達障害や認知症の診療でも、見ているものは似ているのかもしれない。
それは、脳と世界とのあいだの“リズムのズレ”である。
そのズレを無理に正すのではなく、
ズレたままでも成り立つように、環境を調整する。
登る人にも、降りる人にも、
その人なりのリズムがある。
医療とは、そのリズムに耳を澄ますことなのだと思う。
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