未分類
視野狭窄から解放される朝のルーティン
視野狭窄から解放される朝のルーティン
― 呼吸とスワイショーで「注意の場」をひらく ―
今朝のニュースで、名神高速のトンネル内多重追突事故が報じられていた。
原因の一つとして、運転手がスマホを見ていた可能性が指摘されていた。
専門家のコメントとして「人間は二つのものを同時に見られない。
スマホと前方の間で視線が行き来するだけで、周囲への意識は抜け落ちる」という説明があった。
この指摘自体は正しい。
しかし、どこか引っかかるものがあった。
「見えている」と「認識している」は違う
人間は、確かに同時に複数の対象を十分に処理することはできない。
いわゆる“不注意盲”の状態では、視界に入っていても認識されない。
ただし、ここで重要なのは
視野の問題ではなく、注意の置き方の問題ではないか
という点だ。
中学生の頃の小さな発見
ふと思い出したのは、自分が中学生の頃に感じた違和感だった。
- 望遠鏡で暗い星雲を見るとき、中心では見えないのに、少し視線をずらすと見える
- 立体視の画像は、寄り目にすると急に奥行きが現れる
つまり、
「どこを見るか」で、世界の見え方そのものが変わる
という体験だった。
臨床の現場での応用
カテーテル治療の場面でも似たことを感じる。
強く集中すればするほど、意識を一点に固定しすぎると危うい。
むしろ、
- 手元の操作
- モニターの変化
- 周囲の状況
それらを“同時にぼんやり感じている”状態の方が安定する。
集中とは「狭めること」ではなく、「分布させること」でもある
視野狭窄は“状態”で変わる
ここまでをまとめると、
- 注意が一点に固定されると → トンネル状になる
- 注意が広がると → フィールドとして立ち上がる
これは能力の差というより、
モード(状態)の違い
と言った方がしっくりくる。
朝のルーティン:呼吸で「気を降ろす」
僕は毎朝、車の中で短い呼吸のルーチンを行っている。
- 吸気で首(項)をすっと伸ばす
- 呼気で鎖骨を落とす
- 意識を丹田(下腹部)に置く
東洋的に言えば「気を降ろす」という表現になる。
このとき起きているのは、
- 頭(思考)中心の状態から
- 体幹や内側の感覚へのシフト
である。
すると、
視覚一辺倒の状態から、多感覚が統合された状態へ変わる
スワイショー:身体から広がる視野
クリニックに着いた後は、ハーブティーのお湯を沸かしながら、裸足でスワイショーをする。
腕をゆるく振り、体を解放していくあの動き。
- 肩甲骨がほどける
- 呼吸が深くなる
- 足裏の接地感が戻る
すると不思議なことに、
視野が広がる
という感覚が出てくる。
これは単なる気分ではなく、
- 姿勢
- 呼吸
- 身体感覚
が変わることで、
注意の“場”そのものが変わる
からだと思っている。
「ただ在る」という瞬間
この一連の流れのあと、
- 何かを考えているわけでもなく
- 何かに集中しているわけでもなく
ただ、
そこに在る
という感覚になる。
認知の歪みや、余計な意味づけから少し解放された状態。
最後に(大事な注意)
誤解のないように強調しておきたい。
スマホを見ながらの運転は絶対に安全にはならない
どれだけ意識の使い方を工夫しても、スマホは強力に注意を奪う。
ここは生理的な限界の問題であり、訓練で乗り越えるものではない。
まとめ
人間は二つのものを同時に“処理”できない。
それは事実だ。
しかし同時に、
注意の置き方によって、世界の広がりは変わる
- 一点に縛られる世界
- 場として開かれる世界
その切り替えは、
- 呼吸
- 姿勢
- 身体感覚
といった、ごく基本的なところから始められる。
朝のほんの数分で、視野は変わる。
そしてそれは、その日の認知の質そのものを変えていく。