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カメラ小僧が覗いてみた自閉症・ADHDの子供の世界
カメラ小僧が覗いてみた自閉症・ADHDの子供の世界
昔、僕はカメラ小僧だった。
露出計を気にし、シャッタースピードと絞りをいじりながら、「どうすればこの瞬間をうまく切り取れるか」をいつも考えていた。
今振り返ると、あのとき僕がやっていたのは、単に写真を撮ることではなく、
**“世界の見え方を調整すること”**だったのだと思う。
そして今、臨床の現場で子どもたちと向き合う中で気づいた。
👉 発達特性とは「壊れた脳」ではなく
👉 “カメラ設定の違い”なのではないかと。
■ 自閉症の子が見ている世界 〜ピントが合いすぎた世界〜
カメラでいうとこうだ。
- フォーカス:一点に完璧に固定
- 絞り:開放(背景はぼける)
- 解像度:極めて高い
ファインダーを覗くと、ある一点が驚くほど鮮明に見える。
まつ毛の一本、光の反射、微妙な形の違いまで。
でもその代わりに——
背景は消えていく。
全体の文脈よりも、**“そこにある事実そのもの”**が前面に出てくる。
だから彼らは、
- 細部に気づく
- 一貫性を求める
- 曖昧さが苦手
なのではないか。
それは欠点ではない。
むしろ、人間が見落としがちな「真実」を拾うレンズだ。
■ ADHDの子が見ている世界 〜感度が高すぎる世界〜
今度はISOを上げてみる。
- ISO:高い(感度MAX)
- シャッター:速い
- フォーカス:流動的
ファインダーの中は一気に明るくなる。
暗いところまでよく見える。
ただし——
ノイズも増える。
あちこちに光が散り、動きが目に入り、
どこを見ていいのかわからなくなる。
でも同時に、
- 誰も気づかない変化に気づく
- 面白いものを次々見つける
- 新しい組み合わせを生む
👉 “世界の広がり”をそのまま感じている
とも言える。
落ち着きがないのではなく、
世界が豊かすぎるのだ。
■ 花粉症の日の世界 〜ザラついた現実〜
ある日、花粉がひどい日を思い出す。
- やたらと光がまぶしい
- 鼻や皮膚の違和感が気になる
- 些細なことに引っかかる
これはまるで
👉 ISOを上げすぎた写真
のようだ。
見えすぎる。
感じすぎる。
でもその結果、
落ち着いて“全体を見る”ことができなくなる。
■ 僕がたどり着いた結論
カメラ小僧だった僕が、いま思うのはこれだ。
👉 大事なのは「良い設定」ではない
👉 “設定を変えられること”だ
- 細かく見る力(自閉的)
- 広く感じる力(ADHD的)
- 感度の高さ(ヒスタミン的)
どれも必要な能力だ。
ただ、それが固定されてしまうと
“生きづらさ”になる。
■ そして、丹田という三脚
カメラには三脚がある。
ブレないための土台だ。
身体にもそれがあると僕は思っている。
👉 丹田(重心)
ここが安定すると、
- ISOを上げても破綻しない
- フォーカスが揺れても戻れる
- シャッターが速くても耐えられる
つまり
👉 どんな設定でも使いこなせる
■ 最後に
子どもたちはそれぞれ、違うカメラを持っている。
ある子は望遠レンズ。
ある子は広角レンズ。
ある子は高感度センサー。
どれも間違いではない。
僕たち大人の役割は、
👉 「正しい見方」を教えることではなく
👉 “設定の変え方”を一緒に探すこと
カメラ小僧だった僕は、今こう思う。
世界は一つじゃない。
ただ一つの設定で見ているだけだ。
そしてその設定は、
少しずつ変えていける。
